―――――『明日』を知りたい そう思う日は
目の前の彼の姿を疑って、
何の言葉を交わさず、ただただ彼を見つめた。
誰も知らない。
私だけのためだけに、日本で最も人気がある人が、会いに来る何て、誰も思わない 。
ただ私だけのためだけに、愛を囁く何て、誰も思わない。
目の前の彼を見て、私は、逃げ出したい気持ちと、逃げ出したくない気持ちと葛藤
する前に、何かを考えることも出来ないで、ただ立ってる。
気が付けば、伊織くんが目と鼻の先にいて、頬に彼の右手が触れていた。
久しぶりに触れる温もり。
荒れていた心の波が、スーッと穏やかになっていくのがわかった。
「会いたかった・・・」
涙を浮かべた伊織くんが呟いた。
私はその言葉に、「うん・・・」とだけ呟いた。
伊織くんに色々言いたかったけど、気持ちが動転しすぎて、頷くことしか出来なか った。
私はただ、左頬に添えられた彼の右手の温もりを感じて、目を閉じてさらにその優
しさに触れていた。
何も言葉を発することができなくて、目を閉じてはまた彼を見て、再び目を閉じる 。
彼を肌身に感じれば感じるほど、涙が溢れてくる。
一度逃げ出したのに、私を追ってきた彼。
一度逃げ出したのに、彼の元へ戻った私。
親指で私の涙を拭ってくれる伊織くんを見ると、私は所かまわず彼に抱きついた。
「・・・・・・美羽さんがいないと、意味ないよ。」
そう呟きながら、伊織くんは私の肩に頭を預けた。
私はその声を聞きながら、彼の胸に顔をうずめた。
「あなたがいないと、歌えない。」
その言葉を聞いた瞬間、私はさらに彼をきつく抱きしめて、・・・嬉しすぎて、嗚咽を
漏らした。
私は彼の歌の一部だった。
今まで、私は彼の歌には必要ないと思っていた。
私の存在は彼の世界には邪魔なのだと思っていた。
それくらい、私と伊織くんの住む世界は違うと思っていたから。
それからどれくらい時間が経ったんだろう。
私がやっと泣き止むと、伊織くんは私を愛しむように見つめていて、ふわりと柔ら
かい笑みをくれた。
私も彼を見て少し笑うと、それを見た彼は「あのね、」と話し始めた。
でも、伊織くんは少し考えるように言葉を止めてしまった。
「・・・どうしたの??」
「いや、うん。何か、・・・久しぶりすぎて、緊張してきた。」
「え??」
どういうことか、伊織くんは私から視線を外して、そっぽを向いていた。
私がじっとその姿を見ていると、「あ゛ー。無理。ダメだ。」と理解できない言葉
を発して、私はさらに彼を見つめた。
「どうしたの?」
同じ言葉で問いかけると、伊織くんは何かを決意したように、私をまっすぐ見て口
を開いた。
「・・・・・・あの、さ。あのね。」
「うん。」
「俺さ、」
「うん。」
「ここで、ピアノのリサイタルするんだ。」
「うん。・・・・・・え?」
私は一瞬彼の言った言葉を疑って、聞き返すと彼はそのまま下を向いてしまって、
私の問いかけに答えてくれそうもない。
『ピアノ リサイタル』
それを聴いた瞬間、いろんなことが頭の中を駆け巡り、近い記憶では弟の直輝が言
ってた、『同じ大学の連れ』がふと思い浮かびあがってきた。
そういえば彼も弟と同じK大生だった。
なぜ、私はそれを思いつかなかったんだろう??
それに。
もし、それが本当ならば、私は以前から彼とつながっていた。
これは運命の導きなのだろうか。
私は出会うべくして、彼に出会ったのだろうか。
現に彼は今私の目の前にいる。
私は両手を彼の両頬に当てて、視線を合わせるように顔を上げさせると、何も考え
ずに、背伸びをして、彼の唇に自分のそれを触れさせた。
全然話の筋が通っていないのに、なぜか彼にキスをしたいと思った。
唇を離すと、彼は当然、驚いた顔をしていて、私の顔をじっと見つめた。
私は、その視線に合わせて、彼を見つめると、「弾けるよ。」と短く彼に言った。
それ以外、何も言葉は要らないと思ったから。