home > novel index > introduce > キラリ。第3部
明日。-6


 ―――――君との明日を夢見る


 美羽さんと会う約束を直輝に取り付けたものの、俺にはまだやるべき事がたくさんあった。

 本当は仕事の一環でもある、この滞在のために仕事を1つこなさなければならないこと。

 『誰もが感動する音楽』

 それは何なのか、突き止めなければいけない。

 それからもう1つ。

 学校側から指定された、リサイタルの主催。


 仕事であまり来れない俺は、リサイタルをこなすことによって単位還元を学校側と約束していた。

 『IORI HAGA -Piano Recital-』

 小さいころからピアノコンクールに出場して、数々のタイトルを取ってきている俺は、リサイタルも仕事のうちだった。

 時期も時期なだけに、曲目は今の俺にふさわしい哀愁漂う内容が多い。

 しかし、最後のアンコール曲だけ、それらの流れにそぐわぬ、ラブメロディが用意されていた。

 これから一週間、俺はそのリサイタルためにピアノに専念する。

 曲を弾いているとき、時々感じる昇華するような感覚は小さいころから変わっていない。

 むしろ、この年になって曲に対しての意識なんかも変わってきたりして、昔は苦手だった哀愁の曲も、美羽さんと離れてから一人になる時間を得たことによって、理解することが出来るようになってきた。

 人を愛する気持ち。

 心からもどかしくて、時に狂おしくて、照れくさくて声にならない叫び。

 愛とは何か。

 一人考えるけれど、何もわからない。理屈じゃないんだって思わせられる。

 それくらいに俺はあの人を愛してるんだと思う。






 
 外を眺めていると、灰色に曇った空は今にも泣き出しそうで、通りも雨を恐れてか人の行きかう姿が少なくなってきた。

 外から帰ってきた直輝が、バタンと音を立ててドアを閉める音がする。

「お帰りなさい。」
「おう、ただいま。どこも行かなかったのか。」

 直輝と目が会うと、私に似た顔が部屋のドアのところに立って、私に言い返した。

 どこにもいけるはずがない。

 そんな余力さえないのだから。

 私がそんな顔をすると、直輝は呆れたように息をはいて、キッチンのところにたった。

 冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、グラスに注ぐとあおるようにしてそれを口に流し込んだのが解った。

「どこ、言ってきたの??画材持って言ってなかったみたいだけど・・・」

 直輝は美術専攻だから、どこかに行くときは決まってスケッチの画材を持ち歩く。
 それが今日はないようだから、何となく不思議に思った。

「あぁ、今日は友達に会いに行ってた。あれ、言わなかったっけ??」
「聞いてない。せっかく、お昼用意してたのに、帰ってこないからどうしようかと思ってたの。」

 ゴメン、とダイニングにある、テーブルの上に用意されたランチに目を向けた直輝は、それに手を伸ばし一口つまんだようだった。

「日本の同じ大学の連れがさ、こっちに今来てて久しぶりに会ってた。」
「そうなんだ。同じ美術専攻の人??」
「いや、そいつは音楽専攻。そいつすげーんだぜ、小さいときから、ピアノのコンクールに出て、優勝してたんだってさ。」
「へぇ、すごい人と良く知り合えたわね。」
「まぁ、俺そいつと高校のころからの知り合いだったし。」

 直輝はそのまま、昼に食べるようにと用意していたものを口の中に入れ込んで、黙って咀嚼をしていた。
 右手には先ほど水を飲んだグラスが、まだ握られており、左手にミネラルウォーターのボトルを持って、それを注いでいた。

「直輝はさ、今まで恋愛をしてきて、忘れたくないこととかある??」
「今まで??」
「うん、そう。忘れたくないとか、手放しなくない人とか、離れなければ良かったとか、遠くに行ってから大事だと思う人、いた??」
「いた??って・・・・何、後悔してる美羽と同等の立場になれってか??」
「まあ、いいから。いた??」

 私が、椅子に座って両膝を抱える格好をし、膝の上に顎を乗せて直輝に聞くと、直輝は少し考えてから息を大きく吐き出し、そうだな・・・と短く呟いた。

「忘れたくないってのは、逆に言えば忘れられないことだよな。それは誰にでもあるんじゃないか??でも、・・・美羽が言ったみたいな、忘れたくないって言う言葉は、俺に言わせると重要なことじゃないと思う。」

「何で??」

「これは俺の意見だけど、『忘れたくない人』は、『忘れそうな人』だから、忘れたくないんだよ。でも、美羽の場合は違うだろ??美羽が想ってる奴は、
『忘れたくない』じゃなくて、『忘れられない』くらい大事な奴。ちゃんと心の中では解ってると思うけどな。」

 そういうと、直輝はニヤリと笑いながら自室のアトリエに篭ってしまった。

 一人残された私は、直輝の背中を視線で追って、その姿が消えていった扉をじっと見つめていた。


 確かに、心の中では解っている。
 でも、自分でどうしたらいいのかが解らない。

 日本に戻っても、伊織くんの会社の場所まではわからない。
 電話をしてみてもいいけれど、聞き出した連絡先を登録していた携帯も今は手元に残っていない。

 2人で会っていたアパートも今は引き払ってもぬけの殻だし、会社にいてもきっと彼は、私がいないのをすでに知っているころだと思う。

 私は一人絶望にくれながら、窓の外を眺めた。


 山を下る水が、大海を目指すように、私にも何かのゴールがあったらいいのに、と半ば諦めていた。



 けれど、その日を境に、私がフランスに来てから滅多に外出をしなかった直輝が、私に何も告げずに、外出することが増えた。

 いつも直輝は気の向くままに外出をするから決まった時間に外出をすることは、ほとんどなかった。

 しかし、ここ最近決まった時間になると朝早くから外出をし、昼過ぎに帰ってきて、昼食を食べると部屋に篭るというような生活を送っている。

 うじうじと考え込んでいる私とは違って、何だか楽しそうにも見えてくる。


 それが5日続いたこの日。

「直輝はさ、朝早くから何をしに行ってるわけ??」

 率直に私が聞いてみると、直輝は私の顔をじっと見つめて、少し考えるように言葉を選んでいるように見えた。

 でも、決まって言う言葉は「そのうち解るよ。」という言葉だった。

 その言葉に私は黙るしかなくて、モヤモヤしてすっきりしないから、今日は久しぶりに外もいい天気だし、と思って買い物に出かけた。


 フランスの穏やかな風心地。
 食材の買い物に賑わう街。
 古めかしい建物の並び。

 本当に私をどん底から救ってくれる癒しだと思う。


 でも、本当にどん底から救ってくれる出会いは、このあとに刻々と近づいて待っていたなんて、知る由もなかった。


 両手一杯に抱えた荷物を持ち直す瞬間、

 果物屋さんで買った真っ赤なリンゴが、

 地面に向かって転がり落ちる。



 何だったっけな??

 ニュートンの万有引力の法則。


 リンゴが地球の力に引かれて地面に落ちること。
 ううん、本当は地球もリンゴに引かれていること。



 ふとそう思った瞬間、落ちたはずのリンゴが誰かの手の上に収まって、痛むのを免れた。


「メルシー。」


 相手の顔も見えず、とっさにお礼の言葉を言うと、「今日は何を作るの?」と少し高めの声をした男の人が、リンゴを持ち直して聞いてきた。


「んー、「おやつにアップルパイ」かな?・・・って、え??」

 私が言おうとしていた言葉を、男の人は得意げにハモって言って見せて、驚いた私はその人を見るや否や、その場に全ての荷物をすべり落とした。




「・・・・会いにきた。」



「い、・・・・織、くん。どうし、」

「『会える日は、会えなかった分だけ一緒に』居たかったから。」



 4ヶ月振りに見た彼の瞳は、

 今も変わらずに、私を見つめていた。








update : 2008.04.13
back next novels index
html : A Moveable Feast