――――伸ばしかけた手を払って 当たり前だった君の存在が、
あれから、一ヵ月が経った。
私はあの日から、TVを買って気が向いたときだけ雑誌を買って読む、というような習慣がついていた。思っても見なかったんだけど、雑誌を開けばけっこう彼の仕事についてのこととか、TVに出てこない謎の人としての特集が組まれたりしていて、『芸能界での彼』というは簡単に知る事ができた。
「なになに・・・?特集;謎の歌手IORの人物像。」
私は雑誌に書かれた文字を声に出してボソリとつぶやくと、今は首にかけてある金属の存在をギュッと握り締めた。
―――『オリコンチャート12週連続首位をキープ中。各種メディアには絶対に顔を出さないIOR。今回で12回目の特集を組むことになり、今までの話題からIORという人物にに迫る。
音楽関係者の中で、直接IORと接触できているのは一握り。自らのプロデュースを初め、歌手のSYOKOさんや、今や人気絶頂バンドENGDED LIMITAGEを含む、約20組のバンド、歌手、CMソングを手がけている。
そのIORが騒がれ始めたきっかけとなったのは、大手携帯電話会社との契約でCMソングとなって、一昨年の秋にリリースされたデビュー曲『SIN』だ。しっとりとした、秋らしいバラードの音調と舞い散る枯れ葉が絶え間無い物悲しさを感じさせるような楽曲が、10代から40代の男女のなかで話題となった。
10曲目のシングルとなる、今回の曲はリリース前の予約の時点から、80万枚という巨額の数字が殺到し、生産に追い付かない状態だった。
噂によると、IORの正体は、男性で年齢は若いらしい。特に女性必見なのが、外見なんて特にかっこいい人。街を歩けば誰もが振り返るくらいの容姿を持っているという事。そして、とあるプロデューサーからお聞きしたお話によると、「礼儀正しくて面白い方でした。」という意見が大多数だった。
これを観察するに当たって、彼は協調性があるといういことなのだろうか。取材した私も、もうちょっと深いところまで話をしてもらいたかったが、IORについての規制というものが、厳しいということがここで覗える。
確かに、彼は今日本の音楽業界の上ではなくてはならないほどの逸材である。J−POPを初め手広く作詞作曲などを手がける彼の仕事振りは、今までの音楽業界には存在しなかった。音楽に対してはものすごく熱心。常に新しい音楽を作りつづけたいという意識の裏側で、ものすごくメディア嫌いの顔を持つ。なぜ、彼はそこまでメディアを嫌うのだろうか。想像して見れば答えは簡単なのかもしれないが、それは彼の考えるものとは異なるだろう。
TVで生歌披露してくれる日はいつか。彼の音楽を聞く私たちはもう、すでに彼の音楽の中にのめりこんでしまっていて、いつの日にか私たちは彼を音楽の天才と呼ぶ日が来てしまうのかもしれない』―――
『ピーンポーン』
私はいつのまにか雑誌を読むのに夢中になってしまっていて、ドアのインターホンの報せではっと気がついた。
せっかくの休みの日にのんびり過ごしたい私は、呼ばれた音に重い足取りでドアに向かった。
「はーい・・・。」
ガチャリ
私は、ドアの鍵を開けながらふと頭に不思議な感覚を覚えた。
いつもならドアホン電話越しの会話のはずなのに、その時はドアからの呼び出しだったのだ。
ここは1人暮し用のマンションのはずだから、大抵隣の人との接触は通勤時間が重なるか、ゴミだし日のときにしか顔を合わせることはない。けれども、私はなんの疑いもせず覗き穴も見ないで、ドアを無意識的に開けていた。
「え・・・・伊、織・・・くん?」
「うん。」
私は驚きのあまり声を詰まらせて、相手を見上げていった。
そこに居たのは、1ヶ月前にたった数日共に過ごした彼だった。
しかし、その彼の雰囲気はあの日と全然違う、大人の男の人の雰囲気だった。
「何で・・・」
彼を見上げたまま、私は頭が働かなくなって、何を言ったら良いのかもわからず、笑顔でドアの前に立っている彼を見つめていた。
「何で、だろうね?」
「え?」
彼は無邪気に、今の格好とは似合わない笑顔を浮かべていた。私が彼のその笑顔を見ていたら、急に温もりを感じた。
瞬間的に、私は抱きしめられているんだなと思った。
普段なら、急に抱きしめられることでパニックに陥る私のはずなのに、やっぱり手は震えてもいなかった。
「ここが落ちつく・・・・」
まるで、私の心を見透かしたような言葉。
彼が私の肩に頭を乗せて呟いた言葉だった。
「伊織くん。」
私が、よりかかる彼に声をかけると、彼は頭を上げて私を見ては、
「相変わらず、俺のこと名前で読んでくれるの?」
と嬉しそうな顔をして言った。
私はその眩しい笑顔と、吸い込まれるような瞳を見て俯いては「だって・・・」という言葉をこぼして彼をねめつけた。
ぶつぶつという私の言葉を拾ってか、彼は私の目線を彼に会わせるように、顎を上に向けて意地悪そうに微笑んだ。
彼の薄い茶色の目に私が映った時、それはもう本当に、私の心はマシンガンで撃たれっぱなしだった。きっと私は彼とにらめっこをしても彼の眼力に圧倒されて、照れて・・・負けてしまうんだろう、と一人心の中でごちた。
「だって私、あなたのこと『伊織』って名前と歳と・・・・仕事のことしかわからないんだもん。」
「それのどこが不満?」
「不満だよ!!知ってるでしょ?私は伊織くんが好きなんだもん。何でも知りたいんだもん!」
「うん。でも俺も不満だよ。俺も美羽さんのこと、名前と住所と歳と、この・・・誰にも触れられていなかった、美羽さんの躰しか知らない。」
「か、躰!?」
「え?だって結びついたでしょ?俺『美羽さんて細いのにスゲェ・・・』っておぼっ・・・!!」
「やだぁ!!」
まさかの彼の発言に、私は彼と別れる最後の日のことを思い出しては赤面し、突然叫ぶと抱きしめていた彼の身体を突き飛ばして、寝室へ逃げ込んだ。
赤面した私の顔は熱を持って、完熟したトマトよりも紅いだろう。
彼は仕方無しに部屋に上がって、寝室のドアを開くと真っ直ぐに私のところへ来て後ろから私を抱きしめた。
「でも、美羽さんの『初めて』が俺で良かったって思ってる。俺の20歳の誕生日で・・・・」
「え?」
私は後ろの彼に顔を上げると、彼は笑って私の身体を正面に向かせた。
今度は目を合わせることなく、俯いた状態で何回も深呼吸をして私の肩を掴んでいた。
「・・・・・俺は、芳我 伊織っていいます。家族は両親と兄1人。K大の2回生です。今は大学に通いながら、『IOR』って言う名前で活躍しています。血液型はO型。・・・・何よりも、美羽さんが大事です。・・・・・・ダメ?」
首を傾げて私の顔を覗きこんでくる彼の顔を見ながら、私は目に涙をためて首を横に振った。
「私は、北条 美羽です。全然伊織くんみたいに、すごくないけれど、仕事には誇りを持っています。なぜなら、私の彼が、自分の仕事に誇りを持っているからです。」
私は最後に彼に視線を合わせると、彼は優しく微笑んで、優しい気持ちの伝わる口付けを私に落としてくれた。
何回も何回もキスを落として、目を合わせては微笑んでから、ふと彼が私の首もとに視線を落とした。
「消えちゃったね、キスマーク。」
「え?あ、うん。もう、1ヵ月経っちゃったからね。」
私が笑って彼に言うと、彼は何かを考えるようにして少ししかめ面をした後、何も無かったようにさっと私の首もとに顔を引き寄せた。
「あっ・・・・」
私が声を出したと同時に、ピリッとするような痛みと彼の穏やかな顔が見えた。
「これでまた美羽さんは俺のものね。」
そう言って、私の首もとについた紅い斑を押さえつけた。私はその押さえつけられた部分からジワジワと熱を帯びるように熱くなっていった。
心に思ったのは、嬉しさと恥ずかしさ。
私は彼にきつく抱きついて、彼のぬくもりを感じた。すると、
「む、美羽さん・・・・何か痛い。」
ふと彼が、私に向かって言った。
その言葉に私ははっとして、自分が首からかけている、彼の指輪の存在を思い出して、指輪に通してあるチェーンをたぐり寄せた。
「それ・・・・」
指輪に気づいた彼は何だか嬉しそうにして私を見て、首に掛かっている指輪に触れた。
「ずっと、首にかけてたの・・・?」
「うん、だってこれ伊織くんのだから。離したくなくて。」
お守り代わり。とはにかんで見せると、彼はただ息を詰まらせたように私を痛いほど見つめた後、ぎゅっと私を抱きしめて、苦しいほどのキスを落とした。
「・・・ッ、伊織・・・くん。」
激しいキスの雨に息をつかせる間も与えてくれない彼の名前を呼ぶと、彼は熱い瞳で私を見つめてきて、私はただ彼をボーっと見ていた。
「何で、そんなに可愛いかなぁ。」
「え?」
「お守り代わりって、そう微笑まれて言われると、マジで・・・・嬉しくて、」
「伊織くん。」
「・・・・・・・・・・・あぁ〜、襲わないって誓ったのに・・・・」
そう言った彼は、苦渋の顔を浮べると一瞬私を見て目が合うと、何かを決心したかのように真剣な顔つきになっていった。
訳がわかっていない私はただただ、彼を見ているばかりで、何が起こっているのかも判断できずいた。すると、彼は急に抱きしめていた私の身体を横に倒し、背中と膝裏に手を添えて、私をお姫様抱っこ状態に仕立て上げると、そっとベットに横にさせた。
「伊織くん?」
横たわされた私の躰の上には彼がいて、私の顔を覗きこんではキスを落とす。
「美羽さんが悪いんだからね。」
「え?」
「キスすると紅くなったり、俺の名前呼ぶたんびに目潤ませたり・・・・。俺もう我慢限界なんだから。
マジで、美羽さん死ぬほど好きだから・・・・・」
「覚悟してね。」
キラリ。/fin