朝、会社に着いてからずっと頭を巡るのは、家の中にいる彼とこれから先の事。
朝からさっきまでの出来事を思い返して見て、私はずっと溜め息をついていた。
なぜか?
それは、さっき思い出した、給料日の存在と『別れ』の存在。
私の仕事はだいたいが課全体の総務の仕事で、パソコン処理を主にしている。
仕事は自分でも、バイトで培ってきた経験を活かしているつもり。
仕事には絶対の自信があるけれども、
今、心の中でうごめく気持ちには全然自信と言うものがない。
はぁ…。
私が、課の部屋に聞こえるくらいの何度目かの溜め息をつくと、さすがに課長も他の人も私を気にしてかチラチラと私の方を見てくる事がわかっていた。
「北条・・・そんなにきついなら、私のところに分けてくれても良いんだが・・・・。むしろ、昼から帰ってくれても良いんだが・・・・。」
課長が心配そうに私に声をかけると、私は何か取りとめもない気持ちに追いやられて、八重ちゃんを見ればしっかりデスクに向かって仕事をしている。
・・・・何か、うううっ・・・・。
せっかく人が意気込んで仕事していたのに。
「北条、藤崎さんと一緒に休憩に入らせていただきます。そして、すいませんが気分が優れませんので帰りますね。」
「え!?」
「あ、あぁ。」
私は八重を引っ張っていくと、ロッカー室に向かって力なく歩き出した。
心のモヤモヤはなんですか。
八重に問いたくなった。
「んで、私に話すって決めてからのその変わりようはどう言う意味?」
「・・・・」
「何があったの?」
どうしたと聞いてくれる八重の言葉が、朝よりも何だか優しさ増しになっていて、心が晴れない私を冷静に見ている気がしていた。
「私ね、金曜日?に・・・・一個下まぁ、学年で言うと二個下なんだけど、その・・・・男の子を拾いまして・・・ね。」
「は!?・・・てか、話しが飛んだ。で?」
「で、トラブルがあってお金とか連絡手段がなくて家に帰れなくなったらしくって、」
「うん」
「しょうがないから、今家に泊めてるの。」
「・・・・・・・・え?」
「だからね、今日お給料日でしょ?それで、今日帰っちゃうの。」
「・・・・・・・・・・ちょっと待て。支離滅裂だし・・・、妖しくないのか、その男は。しかもあんた、」
「全然妖しくないの、学校行きながら仕事もしててね、ちゃんと稼いでる。それからね、手も震えなくてむしろ安心するっていうか。その、色々おかしいの。」
「どこが?」
「最初、会ったときも何か、こう、胸がズガンって撃たれたみたいになったでしょ?手触れたら安心するでしょ?全然怖くないし、優しすぎて・・・・」
「・・・・美羽、それまるっきり恋に落ちてる気がするんだけど。」
「え〜?昨日、一昨日あったばっかりだよ?」
「恋に、時間なんて関係ないって私で証明されてない?」
八重の一言に、妙に私は納得はしたけれども、私の心に引っかかるのは、彼が私たちのいる現実とはかけ離れた場所にいること。
だから素直に頷けない。
「納得はできるんだけど・・・・本来なら、出会わない人なんだもん。今日帰るっていうなら、離れていっちゃうってことでしょ?」
「・・・それは・・・」
息詰まる八重の返答に私は頭の中で、彼を思い出して憂鬱になった。
「ただいま。」
いつもなら1人の部屋にこんな言葉は言わない。
「お帰り美羽さん、お疲れ様。」
いってきますという時もそうだったけど、ただいまという時に返答があるのっていいなと、私はしみじみしながら感じた。
しかし、こんな生活も今日までだと、バックの中に入れてある紙がそういっている。
(やっぱり、震えない。)
私は自分の手を見て、そして彼の顔を見てにこりと笑顔を向けた。
靴を脱いで、1DKの広くないリビングに目をやると、そこには無数の紙が散らばっていた。
A4の紙に所狭しと書いてある文字とフリーハンドで書かれた楽譜。
「これ、全部伊織くんが書いたの?」
「うん、今日は1人にしてくれたから思いっきり、溜まってたぶんの仕事を片付けられたよ。」
「・・・・そっか。」
私は、足元におちていた紙を拾い上げて、いつか誰かの詩になるであろうものにいくつか目を通して彼を見つめた。
彼は入り口に肩をついて私を見ていて何だか恥ずかしかったけど、私は再度あたりを見回して紙を拾い上げる行動を繰り返した。
「どれが誰に渡す分とか、ちゃんとわかる?」
「うん。番号ふってあるから。」
彼は私の隣に来て、紙の右上に書いてある番号を指差し、私が握っている紙を受け取ろうと手を差し出すが、私はなぜかそれを渡す事ができなかった。
私が必死に涙を堪えていて、手まで意識が回らないから。
「美羽さん?」
優しく声をかける彼の声がただただ、愛しいなと感じていた。そして、寂しいとも感じていた。
「伊織くん、電話しようか。」
「え?」
「伊織くんの事務所・・・電話しよ?高原さんすごく心配してた。」
「美羽さん、何考えてるのか言って。」
彼が私の言葉で急に顔色を変えて、私の肩を掴んでいった。
「だって、いつか現実に戻らなきゃいけないのに、今日で最後なのに、何か言っても信じられないんだもん!!」
私は心から、彼がいなくなることを恐れていた。