正直、何を話していたのかさえわからない。
今の俺は、『長谷川優希』という仮面をかぶった名もないピエロに違いない。
「それじゃ、もうこの辺でいいから。送ってくれてありがとう。」
「あぁ、じゃ、気をつけて。」
会話を交した二人は、互いに手を見せ背中を見せると振りかえることなく遠ざかった。
ただ優希はそれから少し距離を置いて振り返り、紫苑の背中を見つめた。
前を向いて歩く姿に、以前の紫苑の背中と見比べて、カイが居なくなったあの日とはだいぶん振りきれている事がよくわかった。
優希はポケットに手を入れ、携帯を出すと慣れた手つきで一つのフォルダを出し、文字を打った。
『自由を手に入れる君へ もう振りかえらないで』
それは何を意味しているのか。
この時点ではまだ誰にも理解できる人はいない。
文字を打ち終わると登録のボタンを押し、携帯を閉じる。
そして優希は上を向きくらい空を見つめた。
星も出ていないこの都会の真中で、ただ一人短い溜め息をついた。
『ガラン・ガラン・・・・』
「いらっしゃいませ〜って、優希かよぉ。どしたん、今日は休みのはずだぜ?」
――――Bar-Captive {バー ケプティブ}
そこは、齢27歳ながら人の行き交う大通りでカクテルバーを開く瀬野 智の店だった。
そして、優希が日本に着てからずっとお世話になっている場所。
夜は女性客で賑わい、バーテンダーの顔ぞろいもいいことがあってか、人気が耐える事がない。
「はは・・・なんか、ここに来たくて来ました。」
「優希君じゃん〜、久しぶりぃ。今日はバイトじゃないんじゃない?」
「そうですよ。」
「うは!ンじゃ、お客として?私と飲もうよ〜」
「遠慮しときます。それに俺はまだ未成年ですし、今日はお客じゃなくて、瀬野さんに話があってきたんですよ。」
「智のほう?智ならさっき事務所に入っていったぜ。」
「そうなんですか?」
「あぁ、何か予感がするからって。何のことだかさっぱりだけどね。」
そう笑って話していたのは、副店長の瀬野 宗孝・・・智の弟でもなく、ただ苗字が一緒で息投合した大学の時の友人その2。
性格は男が感心すると言うほど、『男前』。
「・・・・宗さん、」
「ん〜?」
「これから何があっても、瀬野さんじゃなくて、俺を責めて下さいね。」
宗孝は優希の言葉で何を悟ったのか。ただ黙って優希を見つめ言葉を捜した。
「お前がどッかで生きてんなら、そのうち文句でも言いに行くさ。」
そう一瞬微笑まれて優希は苦笑すると、奥の事務所の扉が開き智が顔を見せた。
やっとかとでもいうような顔をした智はタバコを咥え親指で奥を差す。
優希はその指示にしたがって、素直にドアの向こうへと入っていく。
ただ、薄明かりの暗い部屋だった。
「なんかあると、相変わらずの辛気臭い顔、どうにかなんねぇのかよ。」
智は冗談混じりで、笑い飛ばし事務所の一段と座り心地のいいソファーに腰をかけた。
「生まれつきだから、どうにもなりませんねぇ」
「まぁ、お互い様だけどな。」
オレンジ色の証明が、優希と智だけを照らすように光って、壁に作られた影は一層奇妙な雰囲気をかもし出して居た。
二人の間に流れるのは時計の針の動く音と、沈黙。
そして、智の吸っている煙草・・・『キャラメル』の少し甘い匂い。
「んで?俺の勘が正しければ、話しあんだろ?」
「はい」
そこに座れとでも命令されたように、優希の身体は自然と智の前のソファーに足を伸ばしていた。
腰をかけると学校やお店、ましてや家のソファーと比べ物にならないくらいに座り心地のよいソファーが優希の下に存在していた。
「瀬野さん、俺、バイト止めます。」
「・・・・」
ふぅーっと智の煙を吐く息が響いてまた、沈黙が走る。
智は優希の眼を見て微かにただ笑った。
「・・・・・だろうな、と思ってたんだよ。」
「え?」
「いつ、だったかな?駅から制服のお前が女の子の手を引いて歩いてたのを見たことがある。もしかしたら、と思った。いや、確信した。」
優希がいつか言ってた『あの娘』かって――――。
「ずっと予感してたんだ。いつかお前はドイツへ帰るって。」
「・・・・」
そう呟いて、智はそばに置いてある机の引出しから、紙封筒を一枚取り出して優希に投げよこした。
優希は不思議そうにそれを手に取り中身をのぞいた。
「え?」
「餞別だよ。」
封筒の中にはドイツ・ミュンヘン行きのチケットと10万という大金が入っていた。
「チケットはカウンターに持っていけばいつでも乗れるようにしてある。お前の気持ちが固まったら、
いつでもいくといい。なんせ――――俺航空会社に顔効くしな。」
「はは・・・航空会社の子息なんて誰も気づきもしないですよ、普通。」
「あっちは昼の顔なんだよ。」
「知ってますよ。」
「ただいま。」
優希は我が家への帰路へ着き、疲れ果てた様子で家に上がった。
「お帰りぃ。早かったね。」
リビングからひょっこり顔を出した沙耶は、何やら忙しそうにしていた。
「あぁ、腹減ったしな。そだ、沙耶。」
「ん?」
「ソフィさんに確実に連絡出来るところ知ってるか?」
「え、電話のボードに張ってあるけど?」
「そっか。」
「お兄ちゃん?」
―――――Truuuuu Truuuuu Truuuu
『こちら国際電話局です。』
「すいません、コレクトコールで、ドイツのローゼンハイムに繋いで下さい。」
『お掛けになりたい番号をどうぞ。―――――――