―――――どうすれば叶うかなんて知らない。
私は涙を拭うと再び家から飛び出した。
私、馬鹿だから直輝に住所くらい聞いとけばよかったって、探しながら思っちゃっ
て、でも本当は誰にも頼らず自分ひとりで彼を探したくて、
・・・・・運命が巡り合わせるならきっと見つかるって思って。
私は来た道をもう一回戻って伊織くんを探した。
彼を見つけ出したらもう一度聞こう。
「本当に私で良いの?」と。
もう一度戻ってみたはいいけれど、彼はさっきの場所にはいなかった。
まぁ、それが本当は当たり前なのかもしれない。
あたりを見回しても彼の姿はどこにも見当たらない。
私はその場をもう一度駈け出して、町の大通りになる大きな噴水前まで行ってみる
ことにした。
あの噴水の前はいろいろと交通機関のかなめとしているから、町の細部へ行くには
絶対にあの場所は避けて通れないはず。
間に合うならそこで彼に出会えるかもしれないと私は踏んでいた。
水の都はあちらこちらに用水路として水が流れているけれど、この水は飲めないほ
ど汚い水だ。
けれど、あたりに水の流れる音がすることで、人は優雅な気持ちになり、風情を感
じる。
俺はボーっとした思考でたどたどしくその道を歩き、ホテルまでどうやらやるいて
きたらしい。
らしいというのは、美羽さんに会ってから今までのことをそんなに覚えていないか
らだ。
美羽さんが言った「どうして私を追いかけてきてくれるの?」という言葉に俺は「
隣にいたい」と言ったけれど、心の奥底では本当に分かっていたんだろうか。
「隣にいたい」という感情が生まれる前に、体が動いていた。
彼女が足りないんだと。
灰色がかった空は今にも雨が降りそうなくらいに暗い。
俺はいつの間にか脚を止めてその空をずっと眺めた。
『私がいなくても伊織くんは歌ってこれたじゃない。』
彼女はそういったけれど、あの時の俺は彼女が消えたということを知らずに、彼女
のために歌っていた。
いつか会える。
会えなかった分だけの思いを託して歌っていた。
けれど、現実はうまくいかなくってそう思って歌っていた歌は彼女には届いていな
かったんだ。
絶望と失望。
抱きしめているとも思っていた体温は気づかぬうちに、両腕の中からするりと逃げ
ていたなんて。
「・・・俺は美羽さんのためなら音楽を捨てたって構わない。」
再度口に出していってみると、本当にそう思う。
彼女の近くにいるならば、音楽を捨てても構わない。
音楽は気持ちを伝える手段だと小さい頃から教わってきたから続けてきたが、もう
気持ちを伝える手段を手に入れたから、自分で伝えられるからいつでも切り離せるこ
とだってできるんだ。
けれど、実際にそうした自分を思ったら、やっぱり少しは寂しいんだろうなと感じ
る。
直輝がいるように。
自分の才能を諦めたくても諦められないように。
「美羽。」
美しい羽根と書く彼女の名前はもう既に俺の中になじんでしまっているから。
「伊織、・・・くん。」
名前を呼ぶと返ってきた返事に、俺は空を見上げながら目を瞑っていたので、それ
が幻聴だと思っていた。
「美羽。」
もう一度読んだら幻聴は返ってくるんだろうかと、もう一度読んでみると、今度は
はっきりと、呼ばれた。
「伊織くん、・・・伊織、くん。」
背中の後ろ側で聞こえてきた声はだんだん大きくなり挙句の果てには、背中に体温
を感じた。
「伊織。」
「…うん。」
腰に彼女の腕が巻きつけられていることに気がついて、これが現実なんだと気がつ
いた時、はっきりと彼女に俺の名前を呼ばれていた。
抱きつかれながら振り返ると、彼女は震えながら目に涙をいっぱい溜めて俺を見上
げた。
俺は彼女の頬に右手の平を当てて、愛しむように触れた。
ポロリとこぼれる涙はその頬を伝って俺の手の甲へと流れていく。
見つめあえば、いつの間にか唇を合せてキスをしていた。
今まで苦い気持ちだったのに、そのキスはとても甘くて、何度も啄んだ。
いったん唇を離すと、彼女は俯いたが、代わりに腕を首に回して肩に顔を埋めた。
「私、馬鹿だから・・・・伊織くんをいっぱい傷つけて、突き放して、逃げて・・・。」
情けないくらい、と彼女は言葉を続けると
「弱い人間なんだけど、・・・・あなたに相応しくない人間だけど、・・・・それでもあなた
のそばにいたいの。あなたから音楽を取り上げたくないの。あなたの音楽を守りたい
の。一緒に・・・・生きて、ずっと隣で、『あなた』を聴いていたいの。」
涙ながらに話す彼女の言葉を俺はただじっと聞いていた。
彼女の本心からの告白。
俺は彼女の額にキスを送ると、彼女は小さい子供のように泣き出してしまった。
「俺があなたを守れるように戦うからさ、傍にいてよ。」
小さく彼女の耳元でつぶやくと、「私も一緒に戦うわ。」とぐずった声ではっきり
とそう言った。
愛しい君よ 笑っていてくれ
その笑顔が僕に勇気をくれる
だけど忘れないでいて
悲しい時はそばにいるから