―――――したたる雨の中 君を探した
IORこと伊織はすべての事に疲れていた。
毎日絶え間ないテレビ出演の依頼と、楽曲作りと1つの思わぬトラブルの所為で。
1つの思わぬトラブルとは、初めてのテレビ出演依頼付きまとわれる、ストーカーの存在であった。
週刊誌に取られた写真は熱愛的な写真ではなく、不意打ちに腕を絡まされたところを引き抜こうとしたところだった。
この熱愛報道を伊織の会社がノーコメントにした理由には、社会的立場の弱い一人の女性が、
名の売れた女優に打ち勝てるか、また好奇心の強いマスコミが美羽に攻撃をかけないかが心配されたためだった。
しかし、その思いとは裏腹に相手側の会社がこれを好機と思ってか、事務所の公認と発表してしまったのだ。
これに驚いた伊織と高原含める会社側は、相手側に猛攻撃を仕掛けた。
一部報道は規制され放送禁止をしなければ伊織を出さないという、条件まで出した。
そのやり取りや、仕事もろもろにより、伊織は1日の終わりに美羽に連絡しようと試みたが、
連絡できる時間帯ではなく、声の聞けない日々が続いた。
『会える日は会えなかった分だけ一緒にいよう』
鮮明に思い出される恋人との約束は、ずっと伊織の胸にあったのだが、仕事の忙しさに身を流されてしまい、
だんだんと恋人に会う思いが薄れていっていることに、気がついていなかった。
そして、伊織は自分の犯したことの愚かさに気がつかされてしまった。
美羽が、会社の語学研修という名目でフランスに発ち、しばらくしてからのこと。
伊織は4ヶ月ぶりに休暇らしい休暇をもらえ、久しぶりに恋人の居るマンションに向かった。
下町臭い、商店街を通り抜けるのが好きだったのだが、テレビに出て顔が知られてしまった今、
その道を通ることが叶わなくなってしまった。
ずっと、自分のマンションの駐車場に置いてあった、お気に入りのGTRのエンジンをふかし、
美羽のマンションの駐車場に車を止めた。
美羽の部屋の場所に着くと、小奇麗になっている玄関に伊織は違和感を感じた。
もらった合鍵を挿して、鍵を開けると伊織は目を大きく開けた。
恋人が居ると思っていた部屋には、荷物も人影も見当たらず、ただ美羽が置いて行ったのであろう、
テレビが残されている以外はもぬけの殻だったのだ。
伊織はすべての部屋のドアを開け、中を確認するとやはりどこも空だった。
「何で・・・・」
焦燥感に駆られた伊織は、1つ残されたテレビに目を向けた。
すると、テレビの横に一枚の紙が置いてあった。
私の人生に再び愛をくれて、ありがとう。
さようなら。 美羽
伊織はメモを見て信じられない気持ちで一杯になった。そして、裏切られたとも思った。
しかし、裏切られたと思った瞬間に、自分が愛しい人に会わなかった間のことを考えた。
本当に、自分だけ裏切られたのだろうか。
自分は彼女に裏切りを働いたのではないだろうか。
伊織は、考えた後すぐに管理人室に行き、美羽の居場所を尋ねに言った。
「あの、こちらの5階に北条美羽さんがいらっしゃったと思うんですけど。今はどちらに・・・」
「あぁ、彼女なら1ヶ月ほど前に都合で出て行かれましたよ。」
「つ、・・・都合とは何ですか?」
「さぁ、詳しくは知らないんだけど。彼女、ここ出て行く2ヶ月前ぐらいで、すごいやつれた顔しちゃってね。
元から細かったのに、さらに細くなっちゃって。どうしたのか心配していたんだけど・・・・。」
「・・・ありがとうございました。」
―――― ここ3ヶ月ですごいやつれた顔しちゃって・・・
管理人の話を聞いてから、伊織はこの言葉が頭に焼き付いて離れなかった。
次に伊織が美羽の所在を確かめるために向かった先は、美羽の会社だった。
美羽の会社ならば、絶対に何かを知っている、伊織はそう確信していた。
会社について1つ気がついたことは、美羽の会社は社員がスーツを着ていることだった。
伊織の格好はGパンにシャツと薄いカーディガンを羽織っていて、
さらに顔にはカモフラージュ用のサングラスをかけて、明らかに浮いた存在だった。
しかし、伊織はドア付近で気合を入れて、社員の視線を省みず、受付に一人向かっていった。
「あの、すいません。」
「ようこそ、何か御用でしょうか?」
「北条美羽さん、出社していますか?」
「少々お待ちください。課のものに尋ねてみます。あちらのソファーでお待ちになってください。」
受付嬢に待ちぼうけを食らわされて、10分が経とうとしたか。
伊織のところにまだ、美羽の新しい情報はやってこない。
そして、時間が経てば経つほどに、自分の存在が浮いてくるのが分かる。
「お待たせ致しました。降りて来られるようなので、もうしばらくお待ちください。」
そういわれて、伊織は、やはりこの会社に美羽がいるのだと、少しながら安心した気持ちになったが、
部屋に置かれたメモからは何となく、ここには居ないような気もしていた。
「・・・・伊織くん?」
「美羽さ・・・・」
待たされたソファーの頭上から、自分を呼ぶ声が聞こえて、その声が一瞬伊織には
美羽の声に聞こえたような気がしたが、そこには伊織の全く知らぬ人物が、眉を吊り上げてそこに立っていた。
「芳我(はが) 伊織くん、だよね。私、美羽と同じ課で高校時代から
親友の藤崎八重って言うの。よろしくね。」
「・・・はぁ。あの、」
伊織はどうしてここに、八重が居るのかが分からず尋ねようとしたが、
伊織よりも早く八重が手のひらで伊織の言葉を制すように、ストップをかけた。
「君が言わんとすることは良く分かってるよ。美羽の居場所を聞きたいんでしょ。
でも、今の私は言いたくないの。」
「なぜ?」
「これ以上美羽を傷つけて欲しくないからに決まってるからでしょ!?」
ロビーに響いた八重の声が、あたりの社員の注目を浴び、伊織は少しだけ、八重の気迫に恐れを覚えた。
「私は、君が誰だか知ってる。」
「・・・」
「今、一番売れてる顔だもの。でもね、私が一番許せないのは、その仮面を剥いだときの君なんだよ。」
「・・・」
伊織は八重の言いたいことが良く分かって、黙って聞いてるしかなかった。
「どうして美羽があそこまで傷つけられなきゃいけないの?どうして、美羽が倒れるまで、
君を待ち続けなきゃいけないの?」
「エ!?倒れるって、美羽さんいつ倒れたんですか!?」
「君の報道があってからだよ。美羽は泣いてた。『どうして否定してくれないの?』とも、
『会える日』をずっと待ってた。連絡だって!!」
「あぁ・・・・っ、くそっ!!」
伊織は自分が今最大のものを傷つけ、そして失くしたことに気がつき、
その怒りをぶつけることができなくて、自分に苛々した。
「・・・こっちが否定をすれば向こうの会社が美羽さんに対して嫌がらせをしただろうし、
マスコミからのバッシングも半端じゃないことが分かっていた。」
「何?」
伊織は少し落ち浮いてから、八重に向かって成り行きを話し始めた。
「社会的立場の弱い美羽さんに耐えられるのかと思ったとき、そのことで美羽さんを傷つけるなら、
黙秘しておくほうが、いいと思った。」
「じゃぁ、どうして美羽に連絡しなかったのよ?」
「連絡しましたよ、けど携帯の電源入ってないって言われて、」
「会いに来ればいいじゃない。」
「日本に居れば、そうしてましたよ!!」
「!!」
「でも、君毎日のようにテレビに出ていたじゃない。」
日本に居れば、連絡をしていた・・・・。伊織は、声を荒らげると、八重にそう訴え、
今にも後悔に押しつぶされそうだった。
「2ヶ月間、美羽さんに会うために毎日死ぬほど、スケジュールをつめて、まとまった休みをもらおうとしたんです。
そしたら、プロデュースしている歌手のトラブルが起きて、
それからさらに2ヶ月、交渉と撮影で海外に行っていたんです。」
美羽に会えなかったことの成り行きを、八重に話すと「・・・・でも、長いわ。」と、
八重は悲しそうに、伊織に言った。
「美羽は言ってた。『自然消滅なのか』って。人を待つのに、3ヶ月も4ヶ月も長すぎるよ。」
「・・・・。」
伊織は、八重の話を聞いて「そうですね。」と呟くと、拳を硬く握り締めて俯いた。
「でも、辛いときに安らぐ場所にたどり着くと、・・・・お互いにとって、
負の道を歩むことになると思ったから、連絡できなかった。
・・・・・・・今となっては、ただの俺のわがままだったんですけどね。」
そう、伊織が八重に向かって最後に言うと、丁寧に八重に向かってお辞儀をし、
「忙しいときにすいませんでした。」と一言つげ、背中を見せた。
「・・・・・エックス・アン・プロヴァンス。フランスよ。」
八重は伊織のほうに視線を向けずに言うと、伊織は振り返って目を見張り、八重を見つめた。
「美羽は、そこにいるの。それだけしかあなたには言いたくないの。」
八重は、スパッと伊織に言うと、今度は八重が背中を向けて「じゃぁね。」と言って去っていった。
「フランス・・・・」
やはり、美羽はここには居ないと感じていた伊織の勘は正しかった。
大切な小鳥が逃げた場所。傷つけてしまった小鳥が逃げた場所。
「エックス・アン・プロヴァンス・・・・」
そこは、芸術と水の都だった。