愛唄。12
―――――大丈夫だと思ってる。
彼が私を見つめる視線が、まっすぐ私に向かってきたのは、いつだったかな?
もう忘れそうなくらい、私は彼に触れていない。
もう、今までのように、あの最初の時に別れて、そのままだったみたいに。
私の部屋に、彼の足跡がない。
『IOR 前代未聞の高視聴率更新!!』
伊織くんが、初めてテレビに出た次の日の新聞には、一面に『高視聴率』の文字を何面もの新聞に叩き出した。
私は、新聞を売っている駅の売店、電車の中でその記事を読んでいる人を、冷めた目で見ていた。
それから、1ヶ月、2ヶ月と過ぎて、自分の誕生日さへ過ぎて、私は23才になった。
あれから、私と伊織くんの連絡は途絶えたままだ。
ときどき寂しくなって電話をかけるけれど、いつも電源が入っていないか、電波が届かない所にいるという、機械的な音声が聞こえるだけだった。
『会える日は会えなかった分だけ一緒にいよう』
私は彼に向かって言った言葉が、今では心の中で重くのしかかって、崩れかけている感じがしてならなかった。
けれど、テレビ画面をつければ毎日彼に会える。
ただ、肌の温もりを感じれないだけ。それでもいいじゃない。
私は自分にそう言い聞かせて、日々を乗り切っていた。
そして、彼に会えなくなって3ヶ月目に突入した。
それでも、メールも連絡も手紙も何一つとて私の元へは来なかった。
私は、この状態にやり切れなくなって少しずつ、体に変化が現れ始めた。
「ちょっと、美羽。最近痩せたんじゃない?」
「そう?」
八重は、すぐに美羽の変化に気がついた。
「うん。だって、顔色悪いしやつれた感じがしてるもん。ストレス?」
「・・・・?私は普通よ?」
「そう、かなぁ??でも、無理は禁物だからね!!」
八重の指摘に、私は素直に答えることができなかった。
私はこの3ヶ月間で、過度のストレスを感じ続け、感覚的に麻痺していた。
ストレスをストレスと感じ取れなくなって来ていた。つまり、いつでも糸が切れてもおかしくない状態。
仕事をしなければ、彼を思い出してしまう。
仕事をしなければ、寂しすぎて泣いてしまう。
だけど、そのストレスはある事柄によってさらに私に追い討ちをかけた。
会えなくなって、3ヶ月目に突入したその夕方。
会社の自販機でジュースを買っていたとき、ふと食堂のテレビを見たら伊織くんが映っていた。
隣りには恋人のように伊織くんに腕を絡みつけて、綺麗に着飾った女の人が立っていた。
そして、あろうことかニュースでは“熱愛発覚!!”という見出しさえ出ている。
取り上げられた報道の内容は、深夜の繁華街で伊織くんと女の人(女優の人らしい)が親しそうに歩いている場面だった。
私はこれを見た瞬間「え?」と目を疑った。
『女優の瀬野さんの事務所は交際を認めており、IORさんの事務所はノーコメントを発表しております。』
私は、その場を逃げ出すと溢れる涙が堪えきれず、しばらくトイレに駆け込んで、泣いていた。
「どうして、・・・・・伊織くん。」
私の声はただ埋もれ声となっていた。
そのあと、私は体調不良ということから、会社を早引けし何の音も耳に入れたくなくて、携帯の電源を切った。
その夜は一晩中泣いて、そして翌日には元気に会社に行こうと思ってた。
でも、もう限界だった。
『ガッタン、ズダダダン、カシャーン』
「美羽ッ!!」
あなたの細い指 その横顔
すべて愛しいと感じてた
広い大空に響き渡る
君の優しい声・・・
ふと、歌が聞こえて私は無くしていた意識を取り戻した。
「あれ・・・?ここ、」
「ここは医務室よ。」
横たわっていた身体の横から、八重の声が聞こえて私はそちらに視線を移すと、八重は泣きそうな顔をしながら、私をにらみつけていた。
「美羽のバカ」
「・・・ゴメン。」
私は否定もせずに、苦笑いをして八重に素直に謝った。
「過労で倒れるなんてね、20年も早いのよ。」
「・・・そうだね。」
八重の皮肉った言い方は、相変わらず美羽に棘を指していたが、途中で溜め息をしてこう言った。
「・・・・でも、あんたの秘密は、誰にも打ち明けられないもの、だったのね。」
「え・・・?」
私は、八重の意味する言葉にドキリとして、八重の顔を見つめた。
すると、八重は私に携帯と電池パックを差し出した。
「あんたが倒れた衝撃で、携帯から電池パックが抜け落ちちゃったの。最初に私が駆け寄ったときに、すぐに見つけたから誰にもまだ見られてないと思うけど。・・・・あんたがときどき携帯の裏を見つめるしぐさをしてた意味が、やっと分かったって思った。
見つけた瞬間はまさかって思ったけど・・・・。」
「・・・・」
「だって、今ニュースで報道されてるじゃない?だから・・・」
「『会える日は会えなかった分だけ、一緒に居よう』って約束したのに。」
「え?」
私がポツリと呟くと、八重は眉根を寄せて私を見つめた。
「テレビ出演が決まったときにね、約束したの。それから、私の誕生日が過ぎて、夏も終わって。3ヶ月、彼に会ってないし、連絡も取れない。」
私の言葉に八重は驚きを隠せずに、ただ私の携帯のプリクラを見た。
「自然消滅・・・かな。」
それを呟いた瞬間に、私は箍が外れたように涙を流し、初めて八重の前で泣きじゃくった。
気分が落ち着いて、八重に「一時休暇とってどこか行って来なよ。」という提案に、賛成をして、私は上司に無理やり頼み込んで、休暇申請をした。
「う〜〜〜ん。北条くんはあまり休まないから有給は別にいいんだけど、この際どうだい?この理由欄の『弟の居るフランスに行くため』って言うのを、語学研修にしては」
「語学研修・・・?」
「そう、君のフランス語会話の巧みさは知ってるよ。弟さんにもある程度教えてから、留学させたことも。」
「いいえ。とんでも・・・」
「うむ。語学研修なら許すよ。」
「・・・ありがとうございます。」
普段の社会ならば、このように優しい上司などどこにも居ない。しかし、美羽はこの時ばかり、この心優しい上司に感謝する意外には無かった。
その夜、美羽はさっそく荷作りし始めた。
3ヶ月。美羽はこのマンションから居なくなる。
たった3ヶ月ではあるけれども、美羽はこのマンションの契約を破棄することに決めた。それは今の悲しい思いを断ち切るため。
この部屋で始まった不思議な関係。そして終わってしまった恋人関係。
美羽は少ない荷物を箱に入れ終えて、あたりを見回すとふとテレビが視界に入った。
昨日から携帯の電源がオフにされてあるため、この部屋には今美羽が出す足音であったり呼吸の音しかしなかった。
美羽が、テレビに近づいて指で主電源を押すとぱっと視界に、ずっと思っていた伊織が映っていた。
美羽は、画面に映った伊織の顔を見て、少し微笑んだ。
「伊織くんも、疲れてるね。」
画面越しに伊織の輪郭をなぞって行くと、だんだんと涙が溢れ出してくることが分かった。
『ズズッ・・・・』と鼻を吸い上げ、漏れる嗚咽をこらえる。はぁ、と息を出す。
「・・・・どうして、かなぁ。どうして、否定してくれなかったのかなぁ。」
今でも、鮮明に覚えているニュースの報道が頭の中に浮かんでは、涙が溢れ出す。
「こんなに好きなのに・・・・。こん・・なに、あなた、を・・・待ってる、のに。」
あなたが最後だったのに・・・・。
美羽は画面に掌をくっつけて、絶え間ない嗚咽と涙を流し、
最後の言葉を告げた――――――。
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